つくり手の肖像

続ける者と、去った者 — ブルゴーニュのつくり手の肖像

2026年7月13日

続ける者と、去った者 — ブルゴーニュのつくり手の肖像

ブルゴーニュのワインを語るとき、私たちはつい畑の名前や格付けの話から始めてしまいます。けれど、一本のワインの背後には、必ずその畑とどう向き合ってきたかという、造り手の選択の積み重ねがあります。ここでは、対照的な生き方を選んだ二人のつくり手の肖像を描いてみたいと思います。一人は、百年をこえて畑を守り継いできた一族。もう一人は、ある年を最後に静かに蔵をたたんだ、小さなドメーヌの当主です。この記事で描く二人は、同じコート・ド・ニュイに生きながら、まったく違う答えを選びました。

ジュヴレ・シャンベルタンの頂点に立つ家

ジュヴレ・シャンベルタン村に本拠を置くドメーヌ・アルマン・ルソーは、この村の特級畑(格付けの頂点に置かれた区画、グラン・クリュと呼ばれます)シャンベルタンを最も多く所有する個人所有者として知られています。約12.9ヘクタールの特級畑のなかで、ルソーが受け継いできた面積はその一部にすぎませんが、それでもなお最大の所有者であり続けています。数の多さを紹介したいわけではありません。一つの区画とどれだけ長く向き合ってきたかという、時間の積み重ねの結果として、この家の名前がシャンベルタンと分かちがたく結びついているという話です。

自ら瓶に詰めるという選択

アルマン・ルソーがこの村に地所を得たのは、1909年の結婚がきっかけでした。1910年代から20年代にかけて、シャルム・シャンベルタンやシャンベルタンなどの畑を買い集めていきます。当時のブルゴーニュでは、多くの生産者が造ったワインを樽のままネゴシアン(買い付け業者)に売り渡すのが一般的でした。そのなかでルソーは、雑誌創刊者レイモン・ボードワンの助言を受け、1930年代に自らの手で瓶詰めして売る道を選びます。ブルゴーニュでも最初期の自家元詰め(造り手自身が瓶詰めまで手がけること)の一つでした。畑の個性を、他人の手を介さずそのまま瓶へ届けるという選択は、当時としては珍しいものだったといいます。

三代を経て、いまも守り続ける畑

1959年にルソーが世を去ったのち、息子シャルルが跡を継ぎ、畑をさらに広げていきます。1982年からは三代目にあたるエリックが加わり、いまも家族でこの畑を守り続けています。特級シャンベルタンには新樽100%をあて、18か月から22か月かけてじっくりと育てる——凝縮と気品を両立させる、この家に受け継がれた造りです。一世紀近く前に自家元詰めという道を切り拓いた選択が、いまもこの村の頂点を支えています。

ルソーの醸造は、果梗を取り除いて発酵させる除梗を主体としながら、良い年には特級で一部を房ごと残す全房を織り交ぜるとされます。特級シャンベルタンには新樽100%をあて、18か月から22か月かけて育てたのち、澱を人工的に集めて除く清澄は行わず、必要な年のみ軽く濾過するにとどめる——細部まで意識の行き届いた造りです。

一方でトルショーの手仕事は、これとは対照的でした。果梗をすべて取り除く除梗を徹底しながらも、新樽はほとんど用いず、大半を古樽でまかない、澱を人工的に除かずそのまま瓶詰めする無清澄無濾過を貫きます。畑では未熟な房を間引く緑の摘房も行わず、収量を絞り込むこともしませんでした。同じモレ・サン・ドニ村の一級畑レ・ブランシャールで手がけた2005年は、香ばしいお香や樹脂、アーモンドやピスタチオを思わせる香りに、熟したプラムやブラックチェリーの果実味が重なる一本と評され、生産はわずか150ケースほどにとどまったと伝えられます。同じ除梗という手法を選びながら、樽の選び方や濾過の有無というその先の判断で、まったく違う一本が生まれていたことになります。

対照的な肖像 — 造ることをやめた男

同じコート・ド・ニュイでも、モレ・サン・ドニ村には、まったく違う道を歩んだ造り手がいました。ジャッキー・トルショーです。小さなドメーヌを営みながら、周囲の生産者が濃厚さや新樽を競った時代にあっても、彼は一貫して古い流儀を守り続けました。果梗を取り除いて発酵させる除梗、穏やかな抽出、大半を古樽でまかなう熟成、澱を人工的に除かずに瓶詰めする無清澄無濾過——1950年代から60年代のブルゴーニュを思わせる、静かで飾らない造りです。畑では未熟な房を間引く緑の摘房も行わず、収量を絞り込むこともしませんでした。そして2005年、26回目の収穫を最後に、彼は引退します。翌年、ドメーヌの畑の大半はダヴィド・デュバンへと引き継がれ、トルショーという名前の新しいワインは、二度と生まれないことになりました。

生き方の結果としての希少性

ルソーが選んだのは、畑を三代にわたって受け継ぎ、造りを磨き続けるという道でした。トルショーが選んだのは、自分の代でひとつの流儀を貫き、静かに幕を引くという道でした。どちらも、数を増やすためでも、名を広めるためでもありません。畑や造りとどう向き合うかという、それぞれの選択の結果として、いまの評価があります。造り手が去ったのちに、その繊細で古格のある赤が世界の愛好家に静かに探し求められるようになったというトルショーの話は、希少性とは誇るものではなく、生き方の副産物なのだということを、私たちに教えてくれます。畑を三代で守り継ぐことも、ひとつの流儀を貫いて静かに去ることも、正解や不正解で測れるものではありません。私たちが古い瓶を手に取るとき、そこには必ず、こうした選択の跡が刻まれています。

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